妻へ

2011/8/4  中村登 さん

定年後の生活|妻へよくぞこんな自分に付いてきてくれたものだ、と妻の後姿に感謝する日々。
私は今でこそ家を持つ事も出来る男になれましたが、子供の頃から町一番の貧乏人の子として知られていました。
父親は軍人上がりで威張り散らすだけが得意の男でした。母親は父の暴言と暴力から私達七人兄弟を守る事もなく、収入が無いにも関わらず内職ひとつしない女でした。

父が戦地から戻って来て以来一度も職に就く事が無かった為に、長男の私が幼少の頃から家族を養っていたようなものです。「学問だけはしっかりと身に付けておけ」と勝手を言う父の言い付けに従い、寝る間もない少年時代を過ごしてきました。天秤棒で水の入った一斗缶を担ぎ豆腐を隣町まで売りに行くのは本当に辛く、その後漢字の書き取りをするにもノートなど買って貰った事がないので私のノートは外灯下の土の上でした。手は常に皸が出来、肩は天秤棒担ぎの毎日で瘤が出来ていたのは尋常小学校の頃の事。今思い返してみても自分を気の毒に思います。お客さんに貰った飴玉を妹にこっそり舐めさせようとしたのが見付かり、母に取られてあっという間に口に放り込まれた時には布団の中で自分の生まれを恨み悔し涙が出たものです。

仕事に就ける年になり、ようやく天秤棒を放す事が出来た訳ですが、就任式の朝、血の滲む思いで買った背広が消えていたのです。父が質草にして酒を買った為でした。北海道の四月の冷たい風と皆の視線を受けながら、ワイシャツとネクタイだけの出で立ちで私は就任式の壇上に立っていました。
「貧乏なのは皆が知っている、今更恥ずかしい事等あるものか!」そう自分に言い聞かせながらも、また自分の人生を恨んだものでした。

妻に会ったのはそれから七年後の事。職場に近い保育園に小さくて可愛らしい保母さんが勤め始めたのでした。それが私の自慢の妻なのですが、町一番の貧乏人のところに嫁の来てなど有る訳がない、結婚など、両親がいる限り、そして兄弟達を育て上げるまでは自分には縁のないものだと思って暮らしていました。一番下の妹は私が二十歳の時に生まれましたので本当に遠い未来の事と思っていたのです。
しかも、妻は町では知れた名大工の娘で女学校も出ている私とは縁遠い人。諦めてはいたものの、毎日保育園の横を通る度に胸を躍らせたものでした。

そんな時、耳の早い同僚から「小さい保母さんプロポーズされたらしいぜ」と、噂話を聞かされ私は居ても立ってもいられず遂には妻の元へ突然求婚しに行ったのです。
男たるもの当たって砕けなくて何とする!想いを告げるだけでも良いではないか、と思っただけの事でしたが、驚いた事に妻は私の求婚に快く応じてくれたのです。

私は生涯この人に苦労はかけまいと心に誓い、それまで以上に精を出して働きました。妻も共働きをしてくれて末の妹まで学校に行かせる事ができ、元気な子供達まで産んでくれました。結婚してからの人生全てが夢の様です。町一番の貧乏人が、今では町一番の幸せ者だなんて。
あの日無謀にも求婚しに行った自分に感謝、そして私と私の兄弟に初めて幸せと云うものを教えてくれた妻に心からの感謝が溢れて止みません。
私の大切な妻へ、本当にありがとう。

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