パソコン千夜一夜(その2) マイワープロ世代交代の歴史
2011/12/29 ITシニア さん1980年代の後半、バブル期におけるパソコンは個人レベルではまだまだ高価でした。デスクトップが30万から50万円はしていたと記憶します。
ノートパソコンは当時は50万円くらいしていた
だから、法人レベルでは相当に普及が進んでいましたが、個人レベルではワープロとパソコンが拮抗していました、むしろワープロの方が優勢でした。当時のパソコンはまだMSーDOSの時代で、設定して使えるまでには時間もかかるし、専門知識もいる、ワープロソフトも別にそろえないと文書一つ打てない、と個人ベースでは使いにくかっただけに、個人はワープロ、法人はパソコンという住み分けができていました。個人でパソコンを買うのはよほどのマニア、あるいはおたくといわれる人たち。
実は個人でパソコンを持っていた知人がいましたが、彼の目的はパソコンでゲームをすること。もちろんエロ系のゲームです。エロをやりたいためにパソコンを覚える、という本末転倒なのか順当なのかわからない方法で、彼はパソコンにめちゃくちゃ詳しくなっていきました。まさにエロは世界を救う、のです。
それはともかく、一般の人にはワープロが主流で、
富士通のオアシス
東芝のルポ
NECの文豪
シャープの書院
カシオのダーウイン
松下電産のスララ
キヤノンのキャノワード
などなど、多彩なブランドが市場にあふれていました。そんな中、80年代末に私が購入したのは東芝のルポ。パソコンがだいたい20~30万円するなか、7万円ぐらいだったと思います。
当時としてはものすごい安かった、でもその分、使いにくかった。なにしろ、ディスプレイが9文字分しかなかったからです。大きさはいまのノートパソコンくらい、ただ厚みはその倍くらいはありましたか。そして、プリンターが内蔵されている分、奥行きもかなりあって、そして昔の機会のことゆえ、重かった記憶があります。
9文字ですから、文書を作るのもたいへん。報告書1枚を作るのも、タイトルは中央に大文字で書いて、文章を書いて、ここは1行あけて小見出し、というような、今では誰でも簡単にできる操作もいちいち手でサイズを操作してやらなきゃいけなくてたいへんでした。そのために下書きをして、もう手書きで報告書作った方がよっぽど早い。
しかも9文字しかディスプレイがないから、打ち終わったあとに、とりあえずプリントアウトして、間違いをチェックしなければならないわけです。文書の保存機能もなかったので、間違いをチェックした後、もう一度最初から打ち直す、という、そんなのありかよ、というくらいものすごい手間をかけていたものでした。
さすがにこれは使いにくくて数ヶ月で別のに買い換えましたが、当時は携帯電話もなく、せいぜいポケベル、ファックスがやっと普及はじまったかどうかというくらいの情報通信時代の初期の初期の頃。ワープロの進化もこれからという時代でした。
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