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天皇主権から国民主権の憲法改正を明治憲法73条の改正手続によった理由~憲法改正は無限界にできる?

2019/11/4 

明治憲法の改正にあたって、大きな問題がある。というのは、大日本帝国憲法時代の憲法通説では、万世一系NO天皇が、統治権を有するという「国体」の基本原理は、大日本帝国憲法73条の改正手続きによっても改正できないとされてきた。いわゆる憲法改正限界説といえる。

 従って、この考えによれば、「国体」を否定する総司令部の新憲法原案は、法理論としては、日本国民によって行う新しい手続きで行うのが筋道ということになる。裏をかえせば、かかる内容の毛変更を憲法改正で行えることは、憲法改正無限定論になるのであり、憲法改正によれさえすれば、如何なる内容の変更(例えば、基本的人権の根幹である人身の自由は廃止する)ということが許与れされるのではないかという大きな問題が生じるのである。

 しかし実際には、日本国憲法は、上諭において天皇主権から国民主権への変革を大日本帝国憲法73条の改正手続きによって行った旨を述べ、日本国憲法が欽定憲法(※)であるという趣旨を宣明している。

 こうしや上諭と法理論の矛盾はどの様に考えるべきであろうか?

政治的考慮が働いた?

 当時の日本国政府にとって「国体の護持」もっといえば天皇制の維持が至上命題であったといえる。「国民の主権的意思」というマッカーサー元帥の草案が「国民の至高の総意」というぼかされた言葉に訳され、国体の変革ないし消滅という一種の法的変革を明文上明らかにするのを避ける努力がなされたのはそのためである。
 そしてそのためにも手続き的にも大日本帝国憲法73条に基づく全面改正という形にし、2つの憲法の間に法的連続性があるようにしておくことが、必要であり、望ましいと考えられたのである。

総司令部は憲法改正無限定説に立っていた?

 この点に関する総司令部の考えは少し違うようである。総司令部では「憲法改正を発議する天皇の権限は無制限である」という憲法改正に内容的な限界はない、すなわち憲法改正無限界説をとり、国体という基本原理すら否定する憲法改正も法理上、可能という立場を取っていた。
 ただし、法的連続性は担保されないといけないという立場であった様である。それは1946年5月13日の極東委員会が決定した総司令部に対する指令でも「完全な法的連続性を確保すべきこと」という形で強調されている。

 なおアメリカ合衆国国務省内の『極東委員会』では、法的連続性について「日本の憲法学者や超国家主義者の団体が後に至って、新憲法は外部から日本国民に押し付けられたものであり、それは法的に何らの根拠なきものであり、したがって、無効と考えなければならないものであるというようなことを主張するために、必要である」と記載されている。

 要するに、この憲法は総司令部から押し付けられ、結果、天皇主権が簒奪されたものであり、現憲法破棄されなければならないといった憲法破棄論を牽制する狙いがあったといえるだろう。その為に敢えて大日本帝国憲法73条の改正手続きによって憲法を改正し、両憲法には法的連続性を形式的に担保したという見るのが正当であろう。
 この憲法改正手続きから即、憲法改正は無限定に出来るとまで解釈するのは早計と考えるが皆様はいかがお考えだろうか?

 いずれにしろ、この様な経緯、手続きを経て、日本国憲法における「象徴天皇制」が確立されたのである。

・参照条文
大日本帝国憲法73条
1 将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ
2 此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノ二以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス

※【用語の説明】
欽定憲法とは、君主主権に基づき君主がもっぱら自己の意思によって制定した憲法のことを言う。

(文責:定年生活事務局)
参考文献:芦部信喜{憲法学Ⅰ 憲法総論】(1992 有斐閣)



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